新・エセすすきの日ごろの話題

2012年4月29日にスタートの「エセすすきの日ごろの話題」の続編。2017年6月7日から毎日更新中

第1274(1270)回目の話題

笑いの話題

37になってから笑いにまた興味を持ち始めている。36歳の1年間は笑いには興味を示さなかった自分がまた興味を持っていくことは何かが変わっていると思った。36歳だった自分はテレビが娯楽だった。でも、その考えも37になっても通せなかった。今まで笑いに何かに救われたような気がしてならないのだ。今度の就職も仕事だけでは何もできない。何か助けていくものがあればと、笑いにすがっていく自分がいた。「笑いを支えにしたい」そういう思いがあったと思うのだ。その笑いを求めたい自分に何かが変わっている。やはり就職という大きな流れが生まれたのだと思う。その新しい仕事先で「心の支え」になるものがない中で今まで支えてきたのは笑いと思う。と、思うと笑いに何かを求めた自分が出てきたと思うのだ。失業中だった自分をすべて変えたい思いが出てきたと思うのだ。就職という大きな岐路で何かが動いていく自分がいると思うのだ。

落語

自分も落語は勉強不足で何も分かっていないと思った。36になって学び始めたものだと思うのだ。今まで∞ホールに行って、ライブハウスでしかなじみのない自分には漫才やコントは楽しめる世界と思った。ところが、落語は知識不足で勉強不足だったと思うのだ。学んでいける世界だと思うのだ。17日に「渋谷らくご」に行くが、そこで思ったが、浪曲も古典の笑いでその古典の笑いに「眠いからいいや」と思ったらいけない話芸と思った。浪曲も少しかじっていくと後になれば「こういう笑いだったのか」と思うので古典の笑いを学んでいかないといけないと思うのだ。だから、笑いには限界がないと思う。

樹木希林の訃報を通じて…

樹木希林の訃報に接して、気になったのが2015年11月にコメントが珍しくあった。郷ひろみ出演の「坊っちゃんちゃん」である。どういうことを書いていたのか気になり、はてなブログに転載した。その時に2016年の正月にやった「坊っちゃん」の話題に関連した話題であった。その中に郷ひろみの「坊っちゃんちゃん」の話題があった。そのとき出演したのが樹木希林であった。2015年11月は何を書いていたのかはてなブログに転載しようと思った。

1273(1269)回目の日ごろの話題

あと100日

気が付けば、今年もあと100日を切ろうとしている。今年も自分の人生・生活も波乱だった。毎日毎日、この波乱な生活を送っていると1日が長く感じている。特に無職・就活中は、家に居ることが多かったので、1日が長く感じてならなかった。そう考えると長い1年だったと思う。これがあと100日もあるとまだ長く感じてならない。再就職した自分には仕事のできる喜びで水を得た魚のようになったと思う。自分には仕事が生きがいと思ってならないことを実感した。仕事してるとその分の楽しさは増えていく。でも、前の職場を失敗を思うと今度は自分の失敗を失敗として受け止めながら、今の仕事に挑まないといけないので、今いる自分がどれだけ大事か考えないといけないと思うのだ。その意味で今の自分は本当に大事にしないといけないのだ。あと100日を切ろうとする中で残りの分は今の自分を大事にしないといけない。そう思ってならないのだ。

36歳の自分と37歳の自分

36歳の自分を振り返ると、前の職場のトラブルが原因で失業。そのショックで尾を引き、やる気が失せたと思う。家に閉じこもっていたので惰性になったと思うのだ。そこから抜け出すには時間かかったと思ってならない。37歳を迎えた6月13日は、まだ無職。その中で誕生日を迎えた自分にはこれからの不安。無職の自分はいつまで続くかという不安はあったと思うのだ。それから1か月近くになって新しい仕事先の採用となった。37歳になってからだが、今の自分を大事にしないといけないし、いい加減な気持ちになったらいけないと思ってならない。今の仕事先も大事にしていかないといけない。甘い考え、軽い気持ちでは成就できないと思うのだ。そういう意味で今の自分を大事にしないといけないと思うのだ。今の仕事先を軽く見たらいけないと思うのだ。36歳になる前の自分は自分というものをおごっていたと思うのだ。それで失敗したのかなと思うのだ。そういう反省を踏まないといけないのだ。

エセすすき、つぶやけず

2012年4月にはてなダイアリーに書いたものをはてなブログに転載したが、「ツィッター」の文字には気になった。前にツィッターに入っていたことを知った。短い文字でつぶやくが、しかし、私は短い文字でつぶやけず、長い文字で書きたがるので、ツィッターが苦手であるかを思い知らされた。140文字の言葉をうまくまとめられない。それ以上の言葉を書いているので、「これは苦手だ」と思った。おそらく再入会するつもりはない。ずっと、「ブログオンリー」で行くと思うのだ。

1272(1268)回目の日ごろの話題

2017年6月の更新の続き

おそらく36歳になるあたりから落語という笑いをもっと学びたい。もっと生で見たいという思いが強くなったと思う。「落語」=「笑い」であることを自分で感じ取っていかないといけないと思ったので、このころから落語への興味はあったのだと思う。新作から古典までバラエティーに富んでいる。そのバラエティーに富んだ世界に学ぼうとしたと思うのだ。今、37になった自分。38になっても落語を学んでいきたい。

落語という古典

日本人の読書離れが進む中、古典文学を読まない人は多くなった。ところが、笑いに接していると古典の笑い、いわゆる落語は何かしら触れる笑いだと思う。古典落語は触れる笑いだと思う。落語は主に江戸時代の話が多いので江戸時代のしきたりを学べると思うのだ。そういう笑いに触れていくのも大事だと思う。落語は奥の深い笑いだと思うのだ。

笑いへの貪欲

36歳の自分は笑いに興味がなくなり、笑いには無関心でいたと思う。ところが、37歳になってから笑いにまた興味を持ち始めたので、笑いには貪欲であったことを実感してならない。漫才・コントという親しみのあるものに興味を持つとはまっていける。いや、「笑いは奥が深い」と思う自分には笑いには貪欲で興味を持ち過ぎていると思うのだ。だから、笑いには興味を持っているのだと思う。おそらく今の仕事に就き始めたあたりからお笑いライブを見て、どこかで助けてもらえる気持ちを持ち始めたと思うのだ。だから、また笑いにはまってしまったと思うのだ。

エセすすき、つぶやく

季節の変わり目で体調が崩しやすい時期である。自分も健康管理にはしっかりして、気を付けていきたいものだ。今日は晴れ。秋晴れの9月17日。

日ごろの話題の更新

更新

2012年3月と4月、2017年6月1日、2017年6月7日から17日までをはてなブログに転載した。

2012年3月と4月

7か月ぶりに書き始めたブログ。はてなダイアリーに書いた時、震災から1年経ったこと、「アタック25」のファンサイトの批判、オンバト収録に行ったときの自分の思いといろんなことを書いたと思う。特に、オンバト収録だが、オンバトはいつまでも続くと思っていた。オンバトはこれからも続くと思っていた。なので、自分の中で「まだまだ行きたい」思いはあったと思うのだ。オンバト収録に行った2012年4月21日は、オンバトに対して軽くしてしまった自分を厳しく喝を入れたような日であった。

2017年6月

前の仕事先を辞める前だったので、あのときは「そこでもっと頑張りたい」思いがあった。そうすると文章に出てしまい、おごったような言葉が出てしまったと思う。思ってることは文字に出てしまいものだと思った。それに、36歳になった時、物事は順調に行くと思った。そういう甘い考えはあったと思うのだ。自分の誕生日に亡くなった野際陽子の訃報は悲しかった。週刊誌の報道で気になった。まさか報じた直後に亡くなったのは残念だった。野際陽子は、芯のある女性を多く演じて、自分に厳しい女性を演じたと思う。そこが野際陽子の良さだった。そんなことを思っている。この36歳をきっかけに落語を学ぼうとした自分。落語を笑いと思っていない自分には落語を良さを学んでいこうという思いがあったと思うのだ。実際に見ていかないとその良さは分からないと思ったのだ。まだまだ落語を見て、知っていきたいが、「渋谷らくご」は、いい意味で勉強できるチャンスだと思った。6月18日以降もはてなダイアリーに書いたのをはてなブログに更新する。どんなことを書き記しているか気になるものだ。

2018年6月の思い出と9月16日のエセすすき

2018年6月のブログすべて更新

はてなダイヤリーで2018年6月に書いた自分のブログをはてなブログ更新。6月15日から6月30日までを書いてだが、日顕の話が出てる。Youtube創価学会の教宣DVDやビデオに日顕の肉声が流れ、知らず知らずのうちに聴いてしまった。魔に毒されたような気がしてならないのだ。魔が入っていたと思うのだ。それにしても日顕を聞くだけでネチネチした郷ひろみしかない。そう聞こえてならないのだ。

これからの日ごろの話題

これから、自分のブログを更新していくが、自分が「エセすすきの日ごろの話題」というタイトルで付け始めたころのブログから順次更新していかないと思う。何を書いていたのか。はてなブログにも残したい思いがあるのですごい気になるのだ。自分のブログは思い入れが強いかもしれないのだ。

最近のエセすすき

季節の変わり目で気温の変化で風邪気味な自分。どうも気温の変化でやられやすいと思うのだ。自分の体は自分のものなので、体調崩さないを健康には留意したいものである。

訃報

樹木希林が亡くなったそうだ。この前、西城秀樹の追悼番組でナレーションをした樹木希林。意味深なナレーションだったので気になったものである。「一時危篤」のニュースを聞き、「大丈夫だ」と思っていた。また、惜しい人を失くしたものだ。今年は芸能人の訃報は多い。

1271(1267)回目の日ごろの話題

安室奈美恵、引退

今日で安室奈美恵引退。25年という節目に引退する安室奈美恵はこれから伝説のアイドルとなっていくであろう。

(2017年10月2日の話題から)

  • 安室奈美恵の歌手引退は、芸能界に衝撃を与えた。また、ファンに相当のショックを受けたようだ。
  • 安室奈美恵は、1995年以降のアイドル界のカリスマで存在感やインパクトが大きい人だった。私は、興味なかったが、最近になって、安室奈美恵のすごさに気が付き、芸能界に大きな影響を与え続けたことを感じた。今度の引退は、いたしかたないと他人事に思っているが、アムロファンには衝撃で逆に根強いファンがいたことを感じた。と、改めてそのすごさを感じた。

(2017年11月10日の話題から)
今年も流行語大賞のノミネートのシーズンが来た。今年は不作だ。ところが、何年か前に出た言葉が今やよく使われるのが「ロス」つまり「ロスショック」だ。「何ロス」というだけで何かにつけて「ロス」とつけることに違和感を覚えてる。アメーバTV・72時間テレビでのスマップの「ロス」や最近の「アムロス」。アムラーから20年が経ち、安室奈美恵がファンが多かった人がいたことを思ったと同時に安室奈美恵が多くの若者に大きな影響を与えたことを改めて思った。その安室奈美恵の引退の「アムロス」に「ロスショックなの」と思ったりしたものだ。何かにつけてロスショックは疑問に思った。おそらくこういう言葉は、朝ドラの「ディーンロス」ディーン・フジオカの出演がなくなったことで影響があったと思う。だから、「ロス」という言葉が独り歩きするになってしまったと思うのだ。

もし…

仕事先での不満はある。ややもしたら「もしあいつさえいなかったら」と思うことはある。でも、仕事の世界いわゆる職場の世界は苦手な人や嫌いな人仕事しなければいけないため、「好き嫌い」は言ってられないと思うのだ。だから、嫌いな人を名指しで出す。そういうこともできない。いや、したらいけないのでだまって目をつむるほかないのだ。なので、どう接するかも大事である。

1270(1266)回目の日ごろの話題

今日は

今日は雨。季節の変わり目で風邪引きやすい季節である。こういう時こそ注意。健康には気を付けないといけないと思うのだ。

ここ最近

天気が不安定で晴れない天気が続いている。3連休も天気ははっきりしないようだ。

鳴門秘帖

1977年の「鳴門秘帖」 ファンだった父親の遺品として提供した方により一挙29本発掘。今まで大事にしてくれた方がいたので嬉しく思った。残りは2本。全編発掘まであと一歩である。