新・エセすすきの日ごろの話題

2012年4月29日にスタートの「エセすすきの日ごろの話題」の続編。2017年6月7日から毎日更新中

1396回目の日ごろの話題

「男と女の一部始終」

例の契約違反をしたエロメンが出てないようだ。というか、「男と女の一部始終」って芸能ゴシップネタのDVD化した作品と思っていた。その中身にがく然とした。今日は疲れているのでブログ書く余裕がないのでここまでにする。仕事があると余計気が疲れる。

1395回目の日ごろの話題

2014年5月8日から・・・

聖教新聞が紙面刷新した2014年5月8日。その日からその年の7月まで「エセすすきの日ごろの話題」をはてなブログに更新。2014年5月8日は、聖教新聞の話題はなく、どうでもいい話題を書いた。そして、更新してるときに、自分の中で「言ってはいけない」をはてなに書いていた。西城秀樹のことで「もし本当に60近くで亡くなったらかわいそうだ」と心にもないことを書いていたのだ。ネットのニュースを見て、自分が心にもないことを書いた。それで自分も顔から火が出る思いがした。そういうことを書いた自分が恥ずかしくなり、「ひどい暴言だ」と思えてならなかった。つまらないニュースに惑わされて、心にもないことを書くと、よくないものだと思ったのだ。自分がバカでならないものだ。

33歳の自分

当時33歳だった自分がそのときに書いたブログを見ると、偉そうなことがいくつもあって、偉そうなことを書きならべていると思ったのだ。自分でも更新しながら我ながら自分の傲慢に恥じる思いがした。思っていることを吐いてしまうと言葉は汚くなるので言葉は大事である。

マズイ発言

さっきの更新ではないが、食べ物一つでも「マズイ」というのは禁句のようなものである。職場での食堂のご飯やおかずを見て、「マズイ」なんて言う。バカにすると、不快でならないものである。作った人のことを思うとそういうことを言ったらいけないものだと思うのだ。職場の食堂のご飯というのは「マズイ」なんて言ってはいけないものだ。この前だが、自分の住んでる市役所の食堂のご飯を食べた。考えると、失業中のころ、市役所の食堂でご飯を食べたが、自分がつらい時や嫌な時があった。でも、市役所でご飯を食べると、自分のつらいことを忘れて、安心できるものがあった。そういうことを考えると、食べ物って「マズイ」というのは言ったらいけないものだと思った。ということは、失業中に食べ物の考えがいくつかあったと思うのだ。食い物に対するバカにする気持ち、あったらいけないものだ。

2018年1月22日

2018年1月22日、東京に大雪。ダイヤが乱れる中、西武線は通常通りに動いていた。あれから1年経つ。あの日の大雪は忘れてしまった感がある。今の快晴の東京であの日の子とは遠い昔のように思えた。でも、去年の今日のことを思い出してみた。2018年の雪の東京。もうすごい降った記憶にあるものだ。そして、2日後の晴れた空、きれいだった記憶にある。別世界だった。

1394回目の日ごろの話題

20年前の寸鉄

1998年の聖教新聞寸鉄日顕を糾弾する短い言葉がいくつもあり、それで自分は「いいぞ」と思った。学会活動してうえでの心得より学会の悪との戦い。その邪悪の徒の日顕の糾弾に「いい言葉」と思った。しかし、20年経つと、そういう言葉、自分が得になる言葉ではなかったのでそれを喜んだ自分がバカだったと思うのだ。そういえば、1998年秋、公明党竹入義勝学歴詐称問題で竹入を糾弾する言葉があった。だが、今はあまり覚えていない。寸鉄でもつまらないもので喜ぶと自分が損するだけである。

そういうことを書くが、

そういうことを書くが、聖教新聞。2019年1月20日で2万号達成。1990年7月19日の1万号達成からおよそ29年であった。聖教新聞は、2014年5月8日の紙面刷新で聖教新聞は大きく変わったものである。1面は(毎日)カラー。「今日も元気で」そして1日を清々しい1日を届ける新聞である。

エセすすきの

NHKアーカイブスの「みのがしなつかし」に自分が投稿したコメント。40いくつから60後半まで行った。そのコメント数を見て、大笑いした。特に自分の書いた大河ドラマのコメントは不毛なコメントが多い。「八代将軍吉宗」は、民放の「松平健徳川吉宗はよかった」と本心をぶつけるようだった。

藍より青く

小生、NHKの「みのがしなつかし」の投稿で「藍より青く」のコメントを書く。赤木春恵が「藍より青く」でヒロインの姑役で知名度が上がったことやもし京塚昌子がヒロインの姑役を演じたら赤木春恵の人生は大きく変わったことを書く。何かで知ったが、当初、京塚昌子がヒロインの姑役を演じる予定だったが、スケジュールが合わず、赤木春恵が演じた。もし「藍より青く」で赤木春恵が出演しなかったら、本当に赤木春恵の人生は変わったと思うのだ。人間、何があるか分からないものだ。

1393回目の日ごろの話題

3日間の仕事

正直、しんどかった。でも、不満を並べても自分がどこかで負けて、他の社員のことを認めている自分がいる。その人たちの努力を見てると、見習うべき点はあったと思うのだ。だから、どこかで負けているのだ。つらい時こそ憎む気持ちをしないほうがいいのではないか?

寸鉄

1998年、日本は平成不況のどん底にいて、危機に瀕していた。その中で1998年12月28日付の聖教新聞寸鉄にこうあった。

「どこの企業も団体も、生き残りに必死。真っ直中で波瀾万丈のドラマを作れ。」

その一言は、20年過ぎた今も通じることだと思うのだ。1998年の寸鉄で今の自分に教えてくれたような気がした。当時、高校生の私が、不況の時に企業の生き残りに必死になってることを厳しく教えてくれた言葉である。今もそういうことはありうるのだ。

1392回目の日ごろの話題

夢の中ではいくらいい夢を見ても現実はとても厳しい。今日も仕事。その中でどう生きるか分からないでいる。昨日も思っていることをメモをした。これでと思った。そうした現実に飲み込まれる日々である。

事務所退所

佐野瑞樹ジャニーズ事務所を退所。円満な形である。しかし、佐野瑞樹がどう活躍するか気になるところです。今日も今日で不安があるのでこれ以上書けない。なので、ここまで。

天地総子で気になるエセすすき(1391回目)

天地総子と東京ブギウギ・・・その1

天地総子が亡くなって、今はCDでしか天地総子の曲を聴くことができない。天地総子がカバーした「東京ブギウギ」は、今は、CDでしか聴くことができない。天地総子が歌った「東京ブギウギ」をテレビ東京で見たわけではない。あれを「なつかしの歌声」の中で披露したVTRも見たわけではない。VTRがないのだ。

天地総子と東京ブギウギ・・・その2

「なつかしの歌声」は、オリジナル重視でとっていた余り、他の人でカバーした曲はあまりないのだ。特に笠置シヅ子が歌った曲は、すべて「なつかしの歌声」で他の人で歌った。その映像は1本もないのだ。それを思うと、「なつかしの歌声」における不幸だと思うのだ。笠置シヅ子が懐メロブームの時に自分の曲を歌うことを拒んだのは有名な話だが、その笠置シヅ子の歌を他の人で歌ったことはあまりない。特にテレビ東京の映像にはほとんどない。

天地総子と東京ブギウギ・・・その3

1970年前後のテレビ東京で放送された(さっきの)「なつかしの歌声」での笠置シヅ子の歌を他の人で歌った映像はないのだこんな悲劇なことはないのだ。おそらく「なかったように装っていたかもしれないのだ」装っていたから黒歴史のようにしていたのだ。他の人が歌うブギを「なつかしの歌声」で歌うとわざとらしさやごまかしが出て、ブギの魅力が損なわれるのだ。だから、悲劇でしかないのだ。

天地総子と東京ブギウギ・・・その4

でも、今は、天地総子の「東京ブギウギ」をCDでしか聴くことができない。天地総子のエネルギッシュさ、笠置シヅ子のような迫力さが出て、歌で聴くとそのすごさが出てならないのだ。歌の持つチカラは大きいと思うのだ。天地総子が「東京ブギウギ」を歌ったのは32歳。32歳の勢いが出てたのだ。何回聴いても32歳の天地総子のパワフルな歌声があるのだ。過去の映像で見ることはおそらくない天地総子の「東京ブギウギ」そのすごさは永遠に残るものだ。

1390回目の日ごろの話題

2015年12月

自分は、2015年12月に特別な思いはない。あのとき、特別なことをしたわけではない。上司に楯突いたことだけである。そんなときに、まだ今の職場の人たちと会っていない。前の職場の人たちと仕事していたのに、それなのに、変に今の職場のあの時を浮かぶ変な自分がいる。まだ今の職場のことを知らなかった。知らないのにどうして気になるのか、自分はおかしいばかりである。

今日の朝

明日は仕事、荷が重いものである。しかし、自分が明日は嫌だと逃げたい気持ちでいると、自分がつらくないだけであると思うのだ。思うから仕事は逃げないでいるのが大事。現実逃避せずに今の仕事に果敢に飛び込むのが大事だと思う。「自分は逃げない」そういう勇気が必要だ。

去年の今ごろ

去年の今ごろもつらかったし、別の意味でつらかった。就職できない自分でつらかったのはある。思うように就活できない自分もつらかった。そうしたつらい時にYoutubeでグルメの動画を見て、食べた気もあった。そういうこともあったが、今、就職して仕事が順調に行ってない。そういう時にどう進むか、過去の経験をどう生かすかだ。

今のつらさ

そういうことを考えると、ある部分では成長したと思う。でも、「あの人さえいれば」という恋恋しい気持ちを捨てないとできないと思う。つらい時こそ泣き言を言ってられないのだ。そこから這い上がっていくのが大事だ。そういえば、去年の今ごろ、そうした気持ちを失っていたかもしれない。だから、自分が心が弱くなっていたのだろう。つらい時こそここから負けたらいけないのだ。