新・エセすすきの日ごろの話題

2012年4月29日にスタートの「エセすすきの日ごろの話題」の続編。2017年6月7日から毎日更新中

花祭り

4月8日、花祭り。お釈迦様の仏像に甘茶をかけて、祝う日。ところが、日蓮仏法の遺訓である御書と呼ばれるものには、どこにもそのような記述はない。釈尊・お釈迦様を敬うことなど書いていない。日本の間違った仏教観であろう。

1106回目

私がやった4日を入れたこと。数が足りないからどこかで足すのは、自分ではやってはいけないことだと思う。1106回目もそれなりのことを書いていくのがいい。わざと水増ししたのではと思ったりした。自分のやったことは取り返しのつかないことをしたようなものである。

1106回目は自作自演だった?

1106回目の今日なのに、それを1110回としたが、水増しなことは、私に書かせると自作自演行為に近い行動だと思う。ネットでは、自分を別の人に成りすまして、自作自演して、別の人間にするのが多い。そういう軽はずみな行為が多い。だから、「その人がやってるわけではない」と思わない方がいい。裏を読まないといけないのだ。私がやったこともたぶんそれに近いことをしたので、言動は低かったと思う。反省しないといけない。ネットにいると自分が見えなくないのではと思ったりした。

哀れな法主

『「御法主上人と呼べ!」と喚(わめ)く日顕。空威張りの阿法主とは宗内の陰口。』(1999年5月13日付の聖教新聞寸鉄から)
池田名誉会長の「新・人間革命」には、わずかにこのことが記されてるだけであった。日顕という宗門の法主は、権威の笠に着た余り、皆から嫌われて、相手にされなくなった。宗門を牛耳った日顕。皆から嘲笑されるばかりである。池田名誉会長は、「新・人間革命」の中でこう記されている。
『歪んだ心の鏡には、すべて歪んで映る』と。日顕がその典型のようなものだ。

土俵の世界

相撲界の事件、去年から揺れに揺れ、これでもかというぐらいに揺れている。女性が倒れた市長の手当てをした。「女人禁制」であるからと「女が土俵に上がってはいけない」とアナウンスを出した。これで大きな波紋を呼んでる。土俵の上で倒れた男の人が苦しい思いしてる。それを伝統とか何やらで女性が上がってはいけないというのは、おかしい。苦しんでいる人を助け合うことが大事なため、それを「土俵は神聖な場所だから女は上がっていけない」はないと思う。甚だしい限りである。私も怒りみたいなものがこみ上げてくる。日本の考えの狭さ、了見の低さが露呈したような気がしてならない。これを機に「女は土俵に上がってはいけない」という考えを改め直すといい。そうしないと悪弊にしばられてはいけないものである。