新・エセすすきの日ごろの話題

2012年4月29日にスタートの「エセすすきの日ごろの話題」の続編。2017年6月7日から毎日更新中

令和になっても続ける「エセすすきの日ごろの話題」・・・(その6・不器用な話題)

10年前の今日の話題

  • 2009年5月2日。渋谷C.Cレモンホール(こと渋谷公会堂)でお笑いライブが開催。1枚をチラシを見て、気になっていった。そのライブが急に懐かしく感じた。ゴールデンウィーク中のお笑いライブに言った思い出で忘れられない一つ。
  • 今年は10連休。お笑いライブは、連休終了前か連休後に行く。連休後にお笑いで贅沢をしたい。元号「令和」になってもお笑いライブは「まだまだ見る」

不器用な有名人の話題

  • 5月1日の『「のど元過ぎれば有馬稲子」の話題』の中で「今の芸能人は不器用な人はいなくなった」。それをもっと書きたいと自分で思ったのでその続きを書く。
  • 残念なことに、今は不器用な芸能人はいなくなり、それが死語に近い言葉になった。今や芸能界で不祥事が相次いでおり、「器用」「不器用」関係なしに有名人が不祥事を起こすと即退場されてしまい、「もうこの人は使えない」とみなされる。
  • いくら「演技がうまい」「歌がうまい」より1度事件を起こすと「この人は芸能界でやっていけない」と思われてしまい、これが「いつまでも汚名として残す」ことになる。芸能界は、「素直」でないと生き残れないうえ、「謙虚さ」がないとやっていけないので、ますます厳しくなった。
  • あと、今の芸能人は「俳優(もしくは女優)だけ生きる」のは難しくなり、特技を持ったり、自分を新しく開花させるチャンスがないとやっていけないため、「才能の開花」が問われる時代になった。
  • 岩永徹也は俳優であるが、実は「IQ王子」の異名を持っている。また、三上真史は、俳優であるが、実は園芸番組がきっかけで「園芸王子」の異名を持つ。谷原章介は、俳優である一方、「二枚目俳優」の限界を感じ、自分で活路を見出し、個性派俳優になる。また、司会やナレーションとさらなるジャンルで開花と、特技や個性の発揮でその素質が問われるようになった。
  • 俳優であると同時に「不器用なところは多い」というのは、今は通用しなくなった。大半は器用であり、努力を覚えていく人しか生き残っていないと思う。「質」を求めていく時代になった。もう「完璧にできない」ということは芸能界ではもはや通用しないことになった。
  • TOKIO山口達也の問題だけに限ると、生き方が下手で不器用なところはない。でも、本当に「やってはいけない」をやっていたのでこれでTOKIOに大きな傷を作ってしまった。残されたTOKIOがどれほど憤り、大きな失墜を招き、多方面に波及した。これは山口達也の生き方が「上手」「下手」関係なしに人間性を問われるようなことをした。本当に生き方が完璧にできず、謙虚さを失うと、信用を無くすので、今は芸能界は「器用」「不器用」関係なく謙虚な人しか生き残れなくなった。
  • 山口達也とは対照的に草なぎ剛は不器用だった。草なぎ剛が不祥事を1度起こしたことはあるが、しかし、草なぎ剛が素直過ぎたため、素直で謙虚のかたまりだったため、それが逆に好かれたかもしれない。素直なのは大事だと思う。
  • と、もうひとつは、努力を覚えていくことで、努力していくことは大事だと思う。羽生結弦は、努力に努力を重ねていくため、そうした努力さが羽生結弦の謙虚さがうかがえ、また、その人柄がにじみ出てくる。努力を重ねていくことが必要である。
  • 芸能界は、努力は覚える。謙虚さを持つ。人柄がよくないといけないと、これらが大事である。「不器用な俳優」が死語に近い言葉になった今、「不器用」と「いい加減さ」を一緒にしたらいけないということだ。

『私の「健康」』の話題・・・父の死で思ったこと

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  • 父が亡くなったとき、10日もの間、お葬式を迎えるまでその後も散歩はした。
  • 職場の計らいで仕事を休ませてもらい、家に居た私は、家に居ると暇だったので散歩はした。そのとき思ったことは、我が家が父の死で失意に会ったとき、悲しみを吹き飛ばしたいため、散歩をすることで気分転換になり、気持ちの切り替えにやったと思う。気持ちを切り替えるため、散歩はしたと思う。歩けば、自分のイヤなことを忘れることはできたうえ、暗い状況にあることで自分を乗り越えたい気持ちがあったと思う。
  • そういう気持ちを乗り越えたいため、散歩はしたと思う。自分が散歩することは、イヤなことを忘れたいため、日ごろのイヤなことを忘れたいためやっていると思う。そうした何かを忘れるため、散歩は大事だと思う。歩くことは自分のストレス解消のためにやってると思う。そうした解消法にしてると思うのだ。

再録の2018年8月25日の話題。

訃報を通して

  • 西城秀樹が亡くなったこと。自分の中でオーバーだが「ロス」ショックのような状態で亡くなったことがやっぱり悲しい気持ちでならない。この前の「思い出のメロディー」は、6000通のお便りのうち、1700曲がリクエスト。一番多かったのが西城秀樹の曲だった。それだけ西城秀樹の訃報は大きな衝撃で亡くなってから「思い出のメロディー」でもリクエストが多かったということだ。
  • 自分はテレビもまともに見れず、ヒット曲も他の人が歌っても見る気になれなかった。自分は西城秀樹ファンではなく、その当事者でもないが、「訃報」という大きいショックが強すぎたと思うのだ。
  • 5月17日夕方、Yahoo!ニュースで知った。その日の昼頃、民放のテレビ局がテロップが流れた。そのときはまだ知らなかった。よそのテレビを見てたため、何も思わなかった。夕方のネットニュースで衝撃を受けた。その日の夜のトップニュースで扱われた訃報だった。亡くなった直後、特番を組んだ。多くの人に愛されたということである。

62歳

  • 2009年の8月、大原麗子が62歳で亡くなった。自宅での孤独死。最期の数年間、テレビの表舞台に出てなかった大原麗子の訃報は大きな衝撃を与えた。「週刊朝日」で当時エッセイを書いていた東山紀之は、大原麗子の訃報から1ヶ月後、追悼記事で当時出演したテレビドラマを思い出を書いた。あの時も衝撃は大きかった。いや自分もその衝撃を受けたひとりだった。
  • 亡くなってから大原麗子の弟がメディアに出演。不仲だった2人なのに、実弟がしゃしゃり出て、すごい嫌な感じはあった。また、芸能人の一部で「大原麗子の友人」と称する人が多く、メディアであることないことを言うので、かえって「大原麗子」という人を悪印象を与えてしまった。不快感が強くなった気がするのだ。
  • しかし、亡くなって間もなく10年経つが、10年経つにつれて、大原麗子を知らない人が多くなった。あれだけテレビドラマで主役を多く演じた女優は今、忘れ去られた人になる。そういう現実のこわさを感じてならない。そっくりネットで知ったが、大原麗子に似てる有名人、菊池桃子岡江久美子には苦笑した。菊池桃子は声や顔立ちがよく似てることや岡江久美子大原麗子に見間違えるほど美しかったのは衝撃だった。

どちらがいい

  • 大原麗子の訃報も衝撃で亡くなったとき、何日間か何ヶ月かはそのショックで頭がいっぱいだったことはある。亡くなってから思ったのが大原麗子は女優というプライドが人一倍強かったことだと思う。最近の西城秀樹の訃報も衝撃は大きかった。テレビでトップニュースで取り上げられるほど話題になりやすかった。
  • 亡くなってから西城秀樹の友人の野口五郎がテレビに出てる。「西城秀樹の友人」というだけ売り込むためにやってるアピール作戦でやってる部分がある。それは大原麗子の弟とやったようなことと同じと思う。でも、イメージ作りでやっているかもしれないが、テレビで西城秀樹を取り上げれば取り上げるほど自分の哀しみが増すばかりで逆につらい思いだけになってしまう。
  • 最近、Youtube西城秀樹が当時出演したテレビ番組をアップロードしてるが、病気になる前であると思うと、見るだけでつらくなってしまう。つらくなる自分が余計あると思うのだ。これまで芸能人の訃報に接して、ショックは何度かあった。そのときは悲しい気持ちはなく、つらい気持ちはなかったと思うのだ。
  • でも、西城秀樹の訃報は衝撃は大きすぎた。衝撃を与えてしまった原因は西城秀樹が病気で倒れてしまったことだと思う。病気になって、懸命なリハビリに励んだことだと思う。病気になったことが自分の中で大きすぎたと思うのだ。これで自分の哀しみを増した一つだと思うのだ。そういうことさえなかったらと思うとつらくなるのだ。まだ自分の中で思うこと書き切れないのだ。

再録・2018年8月26日の話題

不器用なアイドル・西城秀樹

(ウィキペディアから引用)

  • この時代(1970年代)のアイドルに最初からダンス、アクションが上手かったものはいなかったが、しかし売れた人はみんな根性とセンスを持っていた。西城もはじめは不器用で踊りもヘタだった。しかし人一倍根性があり、出来るまでやめようとせず、振り付けの一の宮はじめが「ヒデキもうやめよう」と泣きを入れるほど熱心だった。1970年代後半には一の宮がおおまかな動きを考え、あとは西城が自身の創造力で振り付けを作った。1977年に初めて主演したミュージカル『わが青春の北壁』では、プロでも2年かかるといわれた二回転してその場でストップする動きを1ヵ月でマスターした。当時の売れっ子振付師からも絶賛され、土居甫からは「ぼくはヒデキの振り付けをやってないけど、素晴らしいセンス。歌謡界じゃ、いまナンバーワン」、牛丸謙からは「ヒデキはほんとうに素晴らしい。まだ一度もヒデキの振り付けをやったことはないんだけど、ぜひ一度、ヒデキのステージを作ってみたい」などと評価された。
  • この言葉を見て、目を疑った。「何かの間違いではないか」と思った。西城秀樹は、何でもやりこなせるアイドルでインパクトのあるアイドルと思っていた。ウィキペディアの言葉は衝撃だった。西城秀樹が不器用なアイドルであったのは、8月16日のNHKラジオの特番でクリス松村一の宮はじめトークの中でもはっきり言っている。西城秀樹は、人一倍の努力家で踊りはできるまでやり通すところがあったと思うのだ。その意味で努力に努力を重ねたアイドルと思った。

不器用な歌手

  • 自分の思う不器用な歌手というのは、藤圭子、森進一、郷ひろみ舟木一夫西郷輝彦と生き方が下手ということである。生き方が下手で自分をうまく生きることができないが、自分らしく生き抜くというのがあるということである。
  • 特に書くが、藤圭子は、歌はうまかった。レパートリーの幅が広かった。しかし、病気になったことにより生き方が下手であったこと。度重なる試練に遭っても不器用な生き方になり、自分らしく生きれない生き方があったと思う。藤圭子は生き方を通して下手だったと思うのだ。森進一は、不器用だと思う。歌はうまいが、歌手としてデビューしてこれまでさまざまな試練に遭った。そのたびにもがくだけもがいてその苦しみを乗り越えた。不器用な生き方のあまり、生き方の下手な歌手という自分の中の印象があった。西城秀樹は、生き方は下手と思わなかった。
  • でも、西城秀樹は、生き方も不器用だと思う。病気に遭ったとき、懸命なリハビリに励んだ。人一倍の努力を重ねて、「あのころのような自分をもう1度やっていきたい」というプライドが強かったと思う。そうしたプライドが強かったあまり、負けず嫌いなあまり、かえって、自分を苦しめたのではと思ったりした。西城秀樹の葬式の時、野口五郎の弔辞で「もう、リハビリしなくていいからね。もう頑張らなくていいから」のひとことはグサッと刺さった。西城秀樹は、頑張り過ぎたと思う。苦しむほど頑張り過ぎたと思うのだ。しかし、リハビリで頑張り過ぎた西城秀樹をどう思うか、これは時間が経てばいつか分かることだと思うのだ。

病気

  • 自分が西城秀樹を「悲しい」と思ってしまうのは病気で倒れたことだと思う。そのことで感情移入してしまったと思うのだ。それで自分の中でどう思えばいいか、「西城秀樹はいい人だった」と気が付ける自分がなかなかできないと思う。自分の気持ちの中で整理が付かないと思うのだ。
  • どうでもいいが、音無美紀子もかつてうつやガンと2度も患った。2度の病気になったことで自分を乗り越えられたことができたことに音無美紀子にはあったと思うのだ。完璧にできない音無美紀子は何か大きく乗り越えていく強さがあったと思ってならない。だから、西城秀樹もいつか「不器用な生き方だったけど、自分らしく生きることができたのね」と分かっていければと思ってる。でも、今はそういうことを考えられない自分があると思うのだ。

レイコ

  • 大原麗子の訃報から間もなく10年。大原麗子はあまりにもプライドが強く、女優として頑張りたい思いが強すぎたと思う。病気になったせいでまた人一倍頑張り過ぎたと思う。生き方は違うが、プライドの強さは西城秀樹と似てると思う。また、生き方が不器用だったところも西城秀樹大原麗子は似てると思うのだ。
  • 大原麗子が病気になり、病気で活動が思うようにできなくなってから自分を演じ続けてしまったところがあった。「自分は女優である」ポリシーが強すぎたと思う。だが、大原麗子の死から10年近く経ち、大原麗子を分かる人は少なくなった。実生活の大原麗子や女優・大原麗子は忘れていくばかりになった。
  • こうして考えると芸能界で主役を演じた女優も時が経てば忘れてしまうので何か悲しい運命のようなものを感じた。西城秀樹も病気で頑張り過ぎた。プライドが強すぎた。そう思ってならない。

→今月で亡くなって1年経つ西城秀樹。さっきの不器用な話題で浮かんだので、前に書いたブログ。西城秀樹は不器用かどうかの話題を再度載せた。西城秀樹は不器用だった。人一倍の頑張りや精神が強かった。病気になった時も「病気を克服したい」頑張りは強かったと思う。そうした不器用さが西城秀樹は強かった。西城秀樹は完璧主義なところはあった。今さらだが思った。
→自分で書いたこと言葉、大原麗子と引き合いに出してる面がある。また、なじってるような言葉なため、そういうふうに見えてならない。「西城秀樹大原麗子と同じだった」のような書き方してるので、「これはどうかな」と思った。と思うと、大原麗子と比べているような文章という気がした。違和感があった気がする。