新・エセすすきの日ごろの話題

2012年4月29日にスタートの「エセすすきの日ごろの話題」の続編。2017年6月7日から毎日更新中

おっぱいに異議あり

おっぱいに異議あり

アダルトビデオを見てると、必ず、AV男優がAV女優のおっぱいをなめるシーンがある。これはお決まりのパターンである。
ところが、この前、アダルトサイトで小柄な声の高いAV女優が「誘惑」とばかり年上の男性に「赤ちゃん」のようにおっぱいを吸うシーンを見た。そんなAV女優がそんな男性を「赤ちゃんみたい」と言うわ、「おいしいですか」と言うわ、とますます誘惑して、惑わしていく。そういうドラマを見ると、自分で引いた気がした。
そうやった「赤ちゃん」みたいにおっぱいを吸うと見る人も飽きられるのでこれは引いた。「興ざめ」である。あれはあのときも「興ざめ」であった。
また、母乳のおっぱい。そのおっぱいから液が出る。それがアダルトビデオにもあるのは、引いた。女のおっぱい。母乳も赤ちゃんにとって大事なものである。それをおもちゃにしてアダルトビデオの作品にするのは、私としても不愉快である。
「おっぱい」というのは、アダルトビデオにとって大事なところで男の人が女のおっぱいをなめていくのは描くときはきれいに描かないといけない。男の人がそれを見て、喜ぶところなので、描き手にとってどう描くかが大事である。ただ、度を超して、「母乳のおっぱい」を男の人が吸ってなめるのは、男の私にも不愉快なので喜べないところだ。やっぱり「おっぱい」をなめるところでも見てて不愉快なものは本当に不愉快なことは確かだ。

アダルトビデオの映像美

私が思うことがアダルトビデオにおける映像表現を考えると男と女が生身の体でセックスをしていくという映像美をどこまで描けるかだと思う。そうした「美しいハダカ」を美しく描くという「カラダをきれいに描いていくか」ということだと思う。裸になった時、2人がどうセックスしていくかということを限界まで挑んでほしいということが私の理想だと思う。
アダルトビデオにおける「男と女」のハダカは、カメラの前で脱がされて見せなければいけない宿命的なものでその宿命の中でやっていく。そう思うと、そこから「エロス」という表現が生まれていくものだと思うのだ。あるところまでなら自分でも見れるかもしれないが、それより度を超すと見苦しく感じるのである意味では「線引き」は大事だと思う。

最近ANKEN情報

ANKENの野郎。twitterで質問箱を設置して、みんなに投稿を求めていく。「オンバトファン」と称しながら「サッカーファン」とtwitterでつぶやかない人には「質問箱」で投書しないでね。私も無視していきます。
私もブログで書く内容はくれぐれも気を付ける所存です。