新・エセすすきの日ごろの話題

2012年4月29日にスタートの「エセすすきの日ごろの話題」の続編。2017年6月7日から毎日更新中

エセすすきの言いたい放題…800回から900回へ向かう今

エセすすきの言いたい放題…気がめいりやすい時に

•私もブログで毎度のことながら、ツィッターで名指しで批判をしたらいけないものだ。
•精神的な不安があると、ブログでツィッターで名前を出して批判したがるものだ。批判したものだ。でも、名指しで批判すればどうかである。
•私は、それに改善はしないと思う。いくら気に食わないことがあるからツィッターで書けば許させることではないし、許させる道理はないと思う。書いても空しいだけにすぎないと思うのだ。
•精神的な不安定になると何かに狂って書く。私もある。そこで暴言を吐くのはすっきりするわけがないのだ。

エセすすきの言いたい放題…800回から900回へ向かう今

•800回目達成を前に私も暴言、特に名指しで暴言をするのは控えたい。やらないでいきたい。800回達成したからゴールではなく、実は、7月1日からの62日間連続更新や9月に900回目もある。それを目指さないといけないのでやらなくてはいけないことあるわけだ。
•だから、書くことひとことひとことに責任をもって書かないといけないのだ。私もこれから回を重ねるごとに気を付けて書くのも一つである。気を付ける書くのも大切なことである。「書く」によって心が分かるかもしれないです。

エセすすきの言いたい放題…名指しの批判

•確かに名指しで批判するのはいけないことだ。私も気を付けたつもりがそうじゃないことがあるので、私も書く側にも責任はある。
•特にAV男優を出すのはよくないと思う。これは「いかばかりか」と。
•最近デビューした夏目哉大を書いて、彼の裸について「通り越した」体と書いた。これはかえって人を傷つけるための攻撃と思う点があり、言ってはいけないことだと思う。彼の体で傷つけることを書いたらいけないのだ。
はてなでこれが彼の別の考えが出れば話は別である。体で人を傷つけることはいけないのだ。
•最近もお笑いライブで見て、芸人が気にしてることを言って、その裸を脱がされたことはある。体は有名人にとって商品なので傷つけることを言ってはいけないのだ。だから、男優というのは一種の登録商標のようなもの。

与謝野馨氏を悼む

•また、同じようなタイトルで書く。私が与謝野馨氏を創価学会批判論者。反創価学会政治家と生前、食って掛かった決めつけのように思っていた。しかし、亡くなったことで批判家ではなく政治家としてどう行ったか、「政治家・与謝野馨」としてどう思うかを考えるチャンスができたと思う。
自民党の政策通で税制問題など大臣として、その通として生かして手腕を発揮。社会保障など尽力。また、政治家としての命ともいうべき声をがんによって失ったが、がんにむしばまれながらも病気と立ち向かった政治家であることを改めて知った。
•完璧な政治家ではなかったが、政治家としてどう貫くかを学ぶ機会であった。
•以前にも書いたが、政治家は実績で改めて評価されるもの。そこでどう生きたかを得ることが大事だと思った。今回もそういういいチャンスになった。

5月末日に?

与謝野馨氏が亡くなった日。没年月日を記していないことは、やはり亡くなった日に身内だけ葬儀をして、国会会期中というあわただしい日に香典を送られてもと思い、氏の遺言に沿って行ったことだろう。与謝野氏が政治家への配慮があったと思うのだ。
•しかし、加藤紘一氏の訃報で得ることがなく、これというものがなかった。あったなら、亡くなってから日中外交に取り組まれたことぐらいだ。
与謝野馨氏で得ることがここで多かったのはよっぽどのことだろう。

このように書いたが…

•気持ちの不安定や気温の変化で気がめいり、こじつけたがる自分がいる。だが、環境がどうではなく自分がどう変わるかが大事である。
•「衆生の心が汚れてしまえば、その国土も汚れてしまい、国土が清ければ、その住む国土も清いとあるように浄土と穢土には二つの隔たりはない。ただ私たちの心の善悪から見えることである」とある。
•環境や状況で左右されず、今いる自分がどう変革するか大事な言葉がある。だから、自分の一念が変われば、周りの状況も変わるのだ。自分も戒めたいつもりだ。797回に自分の教訓としよう。