新・エセすすきの日ごろの話題

2012年4月29日にスタートの「エセすすきの日ごろの話題」の続編。2017年6月7日から毎日更新中

2018年9月28日の日ごろの話題(通算1279回目)

「新・人間革命」…暁鐘

聖教新聞で連載した「新・人間革命」。2017年8月31日から2017年12月5日まで「暁鐘」を連載。その当時の自分を書くと、その話には興味がなく、無関心のような状態でいたと思う。では、「なぜ池田大作が第1次宗門問題に海外に目を向けたのか」「なぜヨーロッパやアメリカに訪問し、世界広布を成したのか」「第1次宗門問題の渦中に池田大作はなぜヨーロッパへ、アメリカへ行ったのか」本来の目的は何かを読んでいなかったのでそのときの自分もいい加減な気持ちでいたことがあったと思う。さらに、その後の「勝ち鬨」の章での第1次宗門問題で宗門が学会批判を展開。さらに宗門の勢力を拡大するある会派の存在があった。あの宗門問題で脱会者が出た。脱会者と僧侶と結託して、学会批判を展開したのか。その反転攻勢に出た池田大作は、学会をいかにして守ったかも興味なしでいた。そう考えるとあの時分の興味のない自分が「新・人間革命」第30巻に興味を示そうとしなかったが、出てならない。「新・人間革命」第30巻の下巻で収録される「暁鐘」「勝ち鬨」を読んでいく必要があると思うのだ。無関心ではいけないと思うのだ。「なぜ関心を示さなかったのか」これを自分を猛省すべき点として考える材料にしたい。

真実の創価学会

「新・人間革命」完結後に知った「真実の創価学会史」というサイト。このサイトを見て思うことは、創価学会の事実を歪ませて、ねじ曲がった姿で学会の姿を書いていることである。管理人は学会2世であるが、実は脱会者である。脱会者のサイトであることだ。そんな人ほど信用してはいけないということだ。創価学会黒歴史のようなことを書いているので相手にしない方が賢明である。真実の創価学会の姿を知りたいなら田原総一朗の「創価学会」や聖教新聞を読むべきである。そう書きたいものだ。

2017年9月から2017年11月を振り返るエセすすき

昨日、はてなブログに更新したが、無職になった自分は、家に出ることを控えて、Youtubeを見て、生活を送っていたと思う。また、テレビを見て過ごしたと思うのだ。要するに家にこもっていたということだ。家に居る生活が続くとその生活が楽しくなっていた。また、外に出るのが煩わしくなったと思うのだ。それがズルズル送ったと思うのだ。そういう生活をしていた自分を後で振り返ると、浮草の生活を送っていた。根無し草のような生活を送ったようなことになるので自分というものが惰性に過ごしたと思うのだ。去年の今ごろを振り返って、そんなことを思った。つらかったのは、その後の2017年12月から2018年3月までだった。この時期、つらい思い出しかなかったです。

エセすすき、つぶやけず

こうして今日もブログを書いているが、さっき書いてみて、最初が400文字以上も書いた。そう考えると自分にはツイッターは不向きでツイッターはできないことがあると思い知らされた。長々しい文章を書きたがる自分には長々と200や300、400もの文章をブログで書くので、ツイッターでまとめられない自分がいたと思うのだ。オンバトサポーターでライブレポを投稿したことがある。その時も(やはり)長々しい文章が多かった。好まれないもので自分の多弁する場にしてしまったのでいけなかったと思う。今、ブログで自由気ままに書いているが、ブログでも多弁である。となると、相手にされないのではと思うのだ。ブログも「たくさん書けばOK」なんてことはないのだ。