新・エセすすきの日ごろの話題

2012年4月29日にスタートの「エセすすきの日ごろの話題」の続編。2017年6月7日から毎日更新中

2019年3月とそれより前の3月の1463回目の話題

気が付けば1463回目

「あっという間の3月」

確かにそうだったと思うのだ。でも、はてなダイアリーからはてなブログに移行して半年が経ち、この1ヶ月だけ振り返ると、無我夢中で書いて、夢中に思うことを書いたと思う。真剣に書けば書くほど気が付いたら、3月も終わりになっていたということだろう。今年の3月の話題。ピエール瀧さんの逮捕。これは私も衝撃だった。「いい人だったのにがっかりした」のは、自分の率直に思ったことだ。

1463回目の書きたいピエール瀧の話題

これで芸能界に大きな影響を与えて、大河ドラマにも影響受けた。重要な役どころだったため、代役を立てて、撮り直しとなった。私は、その大河ドラマを初回から見てないが、面白いかどうか何も書けない。視聴率は不調だ。ただ、視聴率が芳しくないにもかかわらず、NHK会長は、強気な発言を終始してるが、ここ数年の大河ドラマ離れが深刻だったため、これで拍車をかけてしまったと思う。代役を立てれば、視聴率は好転すると自分では思わない。ただ、ピエール瀧は、ドラマの重要なカギを握っていたため、ピエール瀧だったからよかったと思う。三宅弘城では重要な役どころにしては難しいと思う。出演者選びも大事だった。前評判はよくてもふたを開ければ今一つ。そういうことを思った。私は、正直、見たいと思わなかった。

この際書きたい。2001年3月の自分。

2001年3月。20になる前の3月だった。この1ヶ月は長く感じた。気持ちが穏やかではなく、悶々と過ごした3月だった。2001年の3月は、楽しい思い出はあまりなかった。当時の自分は、家に閉じこもっていた。その10年前の3月は「よかったのに」と思っていた。自分が卑屈になった3月になった。どうしても2001年3月のせいか、毎年3月が来るたびに「2001年3月」のことが頭に浮かぶ。でも、当時40半ばの父もこの1月末、亡くなる。父のいない3月を我が家は初めて迎えた。あのときの嫌だったことも全然わからず、今年の3月は、自分は仕事に夢中になった3月だった。3月が楽しい季節と思ったのは、今年の3月だと思う。やっぱり父が亡くなったことで自分は卑屈にならず、卑下せず、前に進んでいこうと思うと、過去の嫌なことも忘れてしまったと思うのだ。「3月がいい季節」と思ったのは、今年の3月であろう。でも、2011年3月のこともすっかり忘れたものだ。そこで2011年3月のことも書く。

2011年3月の記憶

私がはてなダイアリーに書いたブログをはてなブログに転載した。震災が起きる前の2011年3月は、普通に過ごして、普通に暮らしていた。ところが、東日本大震災が起きた2011年3月11日の昼過ぎ。その昼過ぎになると状況が一変して、世の中がガラッとと変わった。その世の中が変わったことを分かっていて、分かっていて、わざと分からないふりして、ブログで自身とは関係ない話題を出そうとしたと思う。違う話題を出せば、なんとかなると今は改めて思ったのだ。震災が起きる前と起きた後の世の中。震災の話題を出したくない自分があったと思った。

2011年3月の記録

父の希望退職。それは、東日本大震災が起きた後だった。当時の父は、30年以上バリバリに働いて、まじめに働いていた父だった。その会社を嫌い、別の会社にうらやましく思った時期もあった。でも、真面目に働いた父が突然、希望退職した。これで我が家は大きく一変した。父が亡くなる7,8年は我が家もめまぐるしく変化した。父が失業した時、家に居ることが多かった。自分の時間を持てた父は、有意義に過ごした。でも、その父をうっとうしく思い、自分がそれから1年後の環境の変化でなじめず、新しい環境に溶け込めず、家に居る父を嫌ったと思うのだ。父が再就職したのは、希望退職からおよそ2年後。父のやることなすことをこの2年間で嫌ったかもしれないのだ。

父を失っての3月

そういうことを冷静に考えられるのは、父の死である。父の死で自分を見つめる時間ができたかもしれないのだ。もし父が生きたとしたら、また自分は父のことで今度は病気の父で不満が大きく出てたかもしれない。父は、完璧な人間で私にすれば何事も完璧すぎた父だった。ただ、自分の病気については、自分の体のことを何も分かってなく、病気になっても自分の体を大事にしなかった父である。そんな完璧すぎた父が60前半でこの世を去った。父の兄や姉たちより先に逝くなんて息子の私も情けなく感じた。もっと自分の体を大事にしないといけないとおもう。不満をぶつけても父は戻ってこないが、「自分のことしか考えられない」では生きていけないと思うのだ。不満をぶつけたがる自分はこれからが本当の父の生き方が良かったかどうか、本当の闘いだと思う。

新年度を迎える前に

こうして父のことを書いたりしてるが、2018年度も今日で終わり。本当の意味での2018年は終わったのだ。2018年4月からの1年間。自分の再就職や父の死など目まぐるしい変化や大きな出来事が多かった2018年度だった。自分の再就職で思ったが、自分は再就職できたことは嬉しかった。でも、嬉しいよりこれから自分を支えていきたいものがあった。支えたいものが欲しかった。2018年8月にお笑いライブを見たが、笑いを見ることで「自分が何か守られたい」と思いつつ見たと思うのだ。「笑いでチカラを」と思った。父が亡くなる直前、吉本のライブに行った。それで思ったが、「これで自己満足したらいけない。満足したら前に進まなくなる」と思った。そういうことを思ったものだ。父の死。そして、お葬式の時、自分は本当は行きたかったお笑いライブがあった。でも、自分の父の死で家族に迷惑かけてはいけないと思い、急きょやめた。自分のことが大事だと思ったものだ。考えると、2018年夏ごろから「何かを支えに生きたい」自分があったかもしれないのだ。ただ、父の思い出話ばかり書くと、前に進んでいないことになる。ブログでそういう話も控えたいと思っている。だから、4月1日の新年度から別の話題をしたい。

2019年3月25日に書くはずの「書いたのはいいが・・・」

これまで自分は小学校時代の友だち。旧友はいた。その友だちと会うことがなくなってから、中学校時代から嫌った仲間や苦手な仲間、高校生時代のどうしても好きだった仲間と友だちは欲しかったけど、緊張や「友達になろう」という勇気はなく、そういう人はみんな疎遠になった。その後も友人は欲しかったけどもできず、みんな別れ別れになった。ところが、小学校時代の旧友は、手紙のやり取りを通じて、「仲間」でしかなく、そういう人と仲がいいといつしか新しい仲間ができなくなって、卑下したと思う。だから、イヤだったのはあった。何年か前に年賀状をもらったが、自分の近況報告をしたくなかった自分は、そのとき、その旧友に年賀状出さなかった。これでその人とは縁を切ろうと自分から決心した。その縁を切ったことで今までもらった手紙を全部処分した。処分したことでそこから忘れることができた。その人と疎遠になって、自分は「もう彼女とは会わなくて済む」「彼女とは気にならなくて済む」と思った。そして、6年経った今、「あぁ、彼女とは縁がなくなった」と何かが吹っ切れた思いでいる。気が楽になったのだ。今の職場では、その彼女のことは全部忘れて、今の人と溶け込もうとしている。だから、今の職場を大事にしたい。その職場を退社した人との別れは寂しいが、でも、できることは「陰ながらの応援」そういうことをやっていく。いや、できなかったことをこれからやっていきたいのだ。今日も長文多し。縁を切られたオンバトサポーターのANKENさんから私に、「あなたは読みづらい長文が多い」と言われたが、本当に自分は長文が多いとつくづく思った。これでは、Twitterは、自分に不向きだ。