新・エセすすきの日ごろの話題

2012年4月29日にスタートの「エセすすきの日ごろの話題」の続編。2017年6月7日から毎日更新中

笑いにはまった自分の反省

武蔵小杉駅

さて、今日は横須賀線武蔵小杉駅が設置で満10年。この10年、川崎方面の鉄道網は大きく変わったと思う。今は武蔵小杉も都心まで直通できる時代になった。私は、「今日は何の日」として書きたい。
武蔵小杉駅がこの前の台風19号横須賀線新南改札口が浸水被害のニュースがあった。今は復旧したが、一安心してる私です。

笑いにはまった自分の反省

さて、今回も「お笑いだけいい」と思った自分。2011年の「3.11」以来の考えを通した自分の8年経っての反省やそれ以前の自分。12、3年経っての自分をきちんと反省を書いていきます。
正直ですが、2010年10月23日のお笑いライブに行ったとき、反省はしました。だが、反省が不十分だったと改めて思います。やっぱり2007年ごろから考えがおかしかった自分では思います。
やっぱり「ハリガネロック」が異常に気になり、それで気になり過ぎたため、2007年ごろから避ける考えが強くなった。その「避け」が出ると、自分の中で「キライ」意識が芽生えて、そういう「キライ」意識が悪しき根っこを作ったのです。その根っこが大きくなればなるほど「嫉妬」ぶかい自分になり、だんだん「こいつは」とバカにする。
だから、2007年10月20日のルミネでハリガネロックを生で見たのが最後。それからは、「ハリガネロック以外の芸人を見よう」と思った。これは、「お笑い芸人だけでいい」という考えで自分は通したわけです。これは結果論を最初に書くが、「芸人だけ見よう」としたが、小物ばかり見すぎたため、「小物の笑いはどこまでも小物」要するに「どんぐりの背比べ」のようなものだったわけです。
特に「3.11」以降の9ヶ月を振り返ると、「笑いだけ見たほうが自分にはいい」「笑いを見て行こう」と思いました。笑いを見てるときは、現実を忘れるが、いざ終わると今の現実があり、暗いニュースでまたうんざりの日々が続いたのです。そういう日々が多かったわけです。だが、「3.11」以降。特に「3.11」から1年経つと、自分の就職があって、「ここから頑張ろう」という気持ちがどこかにあって、「楽しく見よう」という気持ちができなかったと思う。「見てもいいこと」ない自分が何度かあったわけです。
失業の痛手や再就職、父の死とこれまでいくつも悲しみがあった。それを乗り越えたのは「笑い」と思いました。思いました。再就職した時も「これからどんなことがあっても笑いで乗り越えるぞ」と思った。父の死もその前にお笑いライブに行ったこともあって、これが乗り越えるきっかけと思いました。それは、「お笑いライブ」という小さい門のようなだったのです。
しかし、父の死で自分の考えが大きく変わった。大きな考えが出始めたのです。お笑い以外の生ライブを見たとき、「この人たちの姿はどこか違う」ことをつかむきっかけになった。「何かが違う」と思った。
特に人生で大きかったのが「お江戸のおもちゃ」という芝居でした。私が見た生のステージで一番の衝撃でした。AV男優という芸能界の低級。詐欺まがいな大人を生で見たとき、「詐欺まがいな大人が舞台で真剣にやっていく」「内容がどうであれ、バカにしてる自分がいけない」「また、低俗な人間の芝居に笑ってくれる大人がいる」そう思うと、生で見る考えが自分で「浅い」と大きなゆさぶりとなったわけです。
そういうゆさぶりを受けたのが有馬芳彦有馬芳彦が「AVより舞台に人一倍強い」青年だったことに「笑いがいい」と思う自分に猛省させられる大事な機会となったわけです。これが大きかった。
また、渋谷で「キミと東横」という写真展があった。道に迷った末、やっと会場に着いた「キミと東横」。その向理来こと夏目哉大の写真目当てに行った。展示品が小さかったが、向理来のあどけない姿。写真の中の向理来がキュートだったことを印象に残ったのです。これが「見ること」の考えを改めるチャンスだったわけです。そうした考えが変わり始めて、「もう笑いだけ見よう」と思うのやめるきっかけになったと思います。
見ることの考えは「もう考え直そう」と思ったわけです。だから、AV男優という低級の芸能人も「やればできる」ということを自分で与えていくチャンスが最近あったわけです。
この1月末で「お笑い芸人を見る」考えをキッパリ捨てたわけです。また、自分が「ハリガネロック以外の面白い芸人はいる」という考えも捨てたわけです。気が付くと、12、3年でした。やっぱり「笑いだけ見る」という考えが小さかった。「笑いは何でもできる」と思うと、自分で思い込んでしまうので、これで自分を見失った原因と思います。
この2月からしばらく自分が「笑いだけいい」という自分を反省を時間でいます。そして、そういう考えしかできなかった自分を見つめ直す時間を作ってるわけです。私もしっかり反省して、見る考え方を改めるきっかけを今作っています。

「3.11」以外のどうでもいい話題

「のど元過ぎれば有馬稲子」の話題

  • 職場でガレッジセールのゴリに似てる青年のことでその職場の女性は、一番言いたかったのは「思ったことを口にしたらいけない」ということだ。
  • これで思い出したのが「私の履歴書」を基に単行本化された「のど元過ぎれば有馬稲子」である。単行本化された際、有馬稲子は、こんなコメントを出した。
  • 『はっきり意思表示するべき時にできないときに後になって悔やむ(略)まったく反省がなくて何度も同じ過ちを繰り返す』
  • これは今思うと有馬稲子は失敗に失敗を重ねたうえで言える人生の教訓かもしれない。また、有馬稲子も女優として不器用だったと思う。不器用過ぎたからこうした言葉が出たと思うのだ。
  • 本当に完璧にできなかった人は人間として魅力があると思う。完璧にできない人は大成しない。残念ながら今の俳優や女優は、不器用な人はいないか少なくなり、今はお笑いの世界が不器用な人が多くなったと思う。完璧にできない芸人が多くなった。
  • 芸人の人が器用にこなすことができず、一生懸命、やっても不器用さが出てしまう。そうした人が多くなったと思う。気持ちを鍛えるチカラが笑いには持っていると思うのだ。
  • こんなことも書きたくないが、AV業界は今や不器用な人が多くなってしまい、完璧にできない人が多くなってしまった。さっき書いた月野帯人は「不器用なイケメンAV男優」であって、何回やっても完璧にできないセックスが多くなってしまった。自分が「セックスはうまいです」と一生懸命、頑張っても自分の下手さが出てしまい、そういう下手が逆にうまくカバーされたと思うのだ。
  • 今はゲスな世界のAVの人が不器用な人が多くなった。セックスの演技しかできないとやっぱり見るものはそう見えてしまうのだろう。だが、今のまともな芸能界には不器用な人は少なくなったので今は寂しいことかもしれない。
  • 例の私の職場でゴリに似てる青年のことで余計なことを考えてしまったかもしれない。

不器用な有名人の話題

  • 5月1日の『「のど元過ぎれば有馬稲子」の話題』の中で「今の芸能人は不器用な人はいなくなった」。それをもっと書きたいと自分で思ったのでその続きを書く。
  • 残念なことに、今は不器用な芸能人はいなくなり、それが死語に近い言葉になった。今や芸能界で不祥事が相次いでおり、「器用」「不器用」関係なしに有名人が不祥事を起こすと即退場されてしまい、「もうこの人は使えない」とみなされる。
  • いくら「演技がうまい」「歌がうまい」より1度事件を起こすと「この人は芸能界でやっていけない」と思われてしまい、これが「いつまでも汚名として残す」ことになる。芸能界は、「素直」でないと生き残れないうえ、「謙虚さ」がないとやっていけないので、ますます厳しくなった。
  • あと、今の芸能人は「俳優(もしくは女優)だけ生きる」のは難しくなり、特技を持ったり、自分を新しく開花させるチャンスがないとやっていけないため、「才能の開花」が問われる時代になった。
  • 岩永徹也は俳優であるが、実は「IQ王子」の異名を持っている。また、三上真史は、俳優であるが、実は園芸番組がきっかけで「園芸王子」の異名を持つ。谷原章介は、俳優である一方、「二枚目俳優」の限界を感じ、自分で活路を見出し、個性派俳優になる。また、司会やナレーションとさらなるジャンルで開花と、特技や個性の発揮でその素質が問われるようになった。
  • 俳優であると同時に「不器用なところは多い」というのは、今は通用しなくなった。大半は器用であり、努力を覚えていく人しか生き残っていないと思う。「質」を求めていく時代になった。もう「完璧にできない」ということは芸能界ではもはや通用しないことになった。
  • TOKIO山口達也の問題だけに限ると、生き方が下手で不器用なところはない。でも、本当に「やってはいけない」をやっていたのでこれでTOKIOに大きな傷を作ってしまった。残されたTOKIOがどれほど憤り、大きな失墜を招き、多方面に波及した。これは山口達也の生き方が「上手」「下手」関係なしに人間性を問われるようなことをした。本当に生き方が完璧にできず、謙虚さを失うと、信用を無くすので、今は芸能界は「器用」「不器用」関係なく謙虚な人しか生き残れなくなった。
  • 山口達也とは対照的に草なぎ剛は不器用だった。草なぎ剛が不祥事を1度起こしたことはあるが、しかし、草なぎ剛が素直過ぎたため、素直で謙虚のかたまりだったため、それが逆に好かれたかもしれない。素直なのは大事だと思う。
  • と、もうひとつは、努力を覚えていくことで、努力していくことは大事だと思う。羽生結弦は、努力に努力を重ねていくため、そうした努力さが羽生結弦の謙虚さがうかがえ、また、その人柄がにじみ出てくる。努力を重ねていくことが必要である。
  • 芸能界は、努力は覚える。謙虚さを持つ。人柄がよくないといけないと、これらが大事である。「不器用な俳優」が死語に近い言葉になった今、「不器用」と「いい加減さ」を一緒にしたらいけないということだ。
  • 今のAV男優は、大半は不器用な人が多くなった。「AV男優が不器用になった」一番の原因は、セックスの演技しかできないため、何度やってもセックスしか演じられない。そうしたところからAV男優は、不器用な人が多くなったと思う。
  • たぶん「不器用なエロメン」「不器用なイケメンAV男優」の元祖は月野帯人かもしれない。月野帯人は、元ゲイモデルであったため、ゲイセックスで自分を磨いたのでそれがエロメンでも自分の下手さを丸出しになった気がするのだ。有馬芳彦は、その次のような存在かもしれない。
  • たぶん私だけ、有馬芳彦を「不器用なエロメン」と思っていないかもしれない。有馬芳彦は、「切な系エロメン」「演技派エロメン」と異名を持つ。でも、有馬芳彦は、セックスの演技が下手で何度やっても下手である。下手な原因は、セックスの演技をやるより俳優として意識が強いのではと思う。演技で自分を磨くあまり、演技力で自分を高めていくと、セックスの演技の下手になって、下手な演技になっていく。でも、そこをうまくカバーしてるから自分をうまくカバーしていく努力を有馬芳彦はしてるのかもしれない。
  • AV男優としては完璧にできない。でも、完璧なのは、自分の顔である。その美顔が有馬芳彦の武器かもしれない。だから、自分は、有馬芳彦を「下手な演技しかできない」ことや「完璧にできない」と言ってるのかもしれない。そして、有馬芳彦は、後ろ姿で恥ずかしい部分が必ず写ってしまう。それが、有馬芳彦の不器用さを出てしまった原因かもしれない。自分は、有馬芳彦を不器用なエロメンを思うのは、そこかもしれない。

→2020年3月になって、気になって仕方がない有馬芳彦。その「有馬稲子」を引き合いに「不器用さ」を転載した。おそらく有馬芳彦出演のエロDVD見たあたりから「この子はセックスの演技が下手な子」と決めつけようとした。その決めつけで人を見て、バカにした節があるのです。「不器用だが努力は人一倍強い子」そういうことを分からなかったので、自分は、3月ぐらいから反省してるわけです。決めつけは自分を狭く考え事につながると思っています。