新・エセすすきの日ごろの話題

2012年4月29日にスタートの「エセすすきの日ごろの話題」の続編。2017年6月7日から毎日更新中

1888回目は「空虚な時代の令和」を生きる

「空虚な時代の令和」を生きる

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2010年代を振り返ると、「3.11」がニッポンの世の中に悪鬼の棲み家がたどった。「3.11」が日本人の考えを狂わせたと思う。その考えが正しいと思ったのが、今度のコロナ問題で考えがさらに変わった。
日本人が「3.11」で小さく考えた生き方がコロナ問題で「小さいことにとらわれるな」と大きい考えを広げるチカラになった。なったのに、分かってなく、現状に逃げて、甘えている。
ニッポンが考えが二流になったと思う。その二流社会が大きく災いしたと思う。その災いに気が付いていない。気が付かないから、日本人は考えがまだ萎えている。これは、「3.11」で得た災いがまだ続いたことだ。これは大きく断ち切るべき課題だと思う。

「空虚な時代の令和」を生きる

「令和」を迎えて、思ったが、生きる喪失感や絶望。自信喪失が目立った。生きる気力が失せ始めた時代になった。
先行きが見えない「令和」。その日本人の漠然とした生き方。「平成」を天皇退位で幕引きになったが、その先を考えない日本人の無責任さ。それがかえって諸外国から嫌われることを作ったと思う。その嫌われぶりがだんだん相手にされなくなった。さらに、マスコミが過剰報道が強くなった。そうした無責任さが出て、嫌われた。
そうした「島国」ゆえの狭さや醜さが災いして、2020年に大きな形で出てしまった。
日本人の大きなつけに苦しんでいる。そのツケを苦しめたのは、オトナたちの「展望なき未来」を考えたゆえの大きい災いだった。その災いが出たための失敗だと思う。さらに「東京オリンピック」という悪魔。その「悪魔」のせいで世の中を狂わせた。その悪魔を断ち切らないと世の中はよくならない。開催中で日本人の嫉妬深い野望。その野望を断ち切ることが「令和」の大変革の時だ。

「令和」に大哲学を

ニッポンが哲学不在なのは、平成10年代から言われていた。創価学会がこれを警鐘を鳴らした。今こそ「創価学会の哲学」「仏法の哲学」が重要視されている。
創価学会が今のニッポンを危惧して、「悪しき根っこ」を変える時が来た。日本人の臆病さや卑下する日本を変える時が来た。コロナ問題で日本人が卑下して、自信喪失国になったのも哲学がないからであろうか?

2月の再録

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2月の再録です。哲学がない日本は21世紀にもあった。この警鐘はあった。
2010年代は、「哲学者はエセが多くなった」ということが出てしまった。さらに「評論家が多く出てしまった」ことで「行動に出ない日本人」が多くなった気がする。