新・エセすすきの日ごろの話題

2012年4月29日にスタートの「エセすすきの日ごろの話題」の続編。2017年6月7日から毎日更新中

1950回目の今週のお題

春馬ロス

三浦春馬の突然の人生の幕引きで芸能界は「春馬ロス」
突然、去った彼の死に誰もが悲しみに暮れている。私もただただ悲しいです。だが、この悲しみを乗り越えてほしいと願っている気持ちでいます。

そっくりネット

今は投稿してない。そっくりネットとは関わりはありません。原因は、私の成りすまし投稿でロプロスさんから見放されるようなことになったということです。
今は、ロプロスさんとは無関係の状態です。さて、「今週のお題」だが、先週と同じお題なので、過去に出されたお題を2回にわたって書く。

過去にあった今週のお題「7年前の2020年」を振り返る

2013年9月12日に出されたお題である。

創価学会90周年へ

池田大作名誉会長は2004年。創価学会が75年の佳節を迎える前に

「2010年の創価学会80周年がわれらの登攀だ」

と叫んだ。
2010年。これですべてが達成されて、2030年は前途洋々と思った。
しかし、あの2011年の震災で苦難に見舞われて、これが幻想と思った。
が、池田名誉会長は、まだ

「2020年創価学会90周年へ登攀」

を叫ばれていない。
「90周年」という新たな目標ができていない。
「ムードに流されてそれで後のことは構わない」こういう風潮こそ問題。2020年の未来をムードに流されているようでは困る。要は「目標」と定める時期が明確ではないからただ今の状況に踊らされてるようではいけないのだ。

「ムードに流れて希望が持てない社会は絶望」

このころの私は、「ムードに流される現状」をひしひしと感じていたのだろう。だから、「ムードに流された」社会で多くのものを失ったように思う。
目標の持てない国は「精神の死」を指すことになる。

過去にあった今週のお題「7年前と今年の私」

2013年9月12日の「今週のお題(=2020年の私)」
おそらく2013年9月ぐらいから「絶望」と思い始めて、生きる希望を少しずつ失ったと思う。

2020年・明日へ向かう

2020年のオリンピック開催。しかし、「東京開催決定」はしてほしくなかった。これで「不開催の東京」になれば、自分も納得できた。悔しいものだ。本当に「東京開催決定」は残念だ。
しかし、開催に名乗り出て、失敗に終わったイスタンブール。その国・トルコで日本の女子大生の殺人事件は胸が痛く、心が痛い話題である。治安が悪いといわれるトルコに行ったこともない山々での殺害事件は若い未来を奪う事件で辛いものがある。
国が違えば、言葉や相手の気持ちが分からず、通じる心が違う。これによって「甘い罠」や「隙」を狙っていくものである。
海外旅行。行くときは1人で行くものではない。ただ決めつけて書くのはよくないが、なれない旅行、行ったこともない海外に1人で行くとどうすればいいか困ることがある。だから、心強い人がいると行きやすいのでは。かくゆう、私、1度も一人旅をした経験がない。1人で旅行で分からぬ土地に触れることがない。分からないものが頭ごなしで批判するのも控えよう。

と、2013年9月に書いた。やっぱりこのころから「希望を見いだせない時代」に入ったと今さらだが思う。そこを気が付くと、越したことはない。
そして、「希望のない2020年」の今、私は、「やっぱりそうか」「どおりでニッポンが希望がないのはオトナの責任だ」とそうさせたオトナの無責任さに怒りを感じた。こうした社会こそ変革が問われる。
あと、3月1日が日曜日の年は「明るいニュースがない」というジンクスがある。それを考えると、今年はそのジンクスに引っかかったような気がする。やっぱりオリンピックですべてが災いした結果だ。